定跡研究室 四間飛車編

5 後手、鷺宮定跡の急戦(その1) 2017.8.26

今回から2回にわたり、鷺宮定跡と呼ばれる△7二飛の急戦手法について、筆者の幼少期の体験を交えながら解説します。

【初手からの指し手】
▲7六歩 △8四歩 ▲6八飛 △3四歩 ▲6六歩 △8五歩 ▲7七角 △6二銀 ▲7八銀 △4二玉 ▲4八玉 △3二玉 ▲3八玉 △5二金右 ▲2八玉 △1四歩 ▲1六歩 △5四歩 ▲3八銀 △7四歩 ▲5八金左 △4二銀 ▲4六歩 △5三銀左 ▲5六歩 (第1図)  △7二飛(第2図)

  

第1図まで、四間飛車vs居飛車急戦の基本形で、第2〜4回までと同じ手順です。第1図から△7三銀なら棒銀、△7五歩なら山田定跡でした。第3の手段として、第1図から飛車を1マス横に寄る(△7二飛)のが、鷺宮定跡(さぎのみやじょうせき)です(第2図)。

今から34年前(1983年)までさかのぼって話を進めます。筆者が小学6年で将棋を覚えて2年が経過し、実家の近くにあった将棋道場に通い始めた頃です。当時、四間飛車に対する居飛車側の対抗策としては、

@持久戦の中では、左美濃が流行していて、その中でも、中原誠名人が大山康晴王将とのタイトル戦で連採した▲8七玉(△2三玉)型の天守閣美濃と呼ばれる囲いが大流行していました。天敵の藤井システムが登場する前の時代であり、玉の囲いが堅固で攻守のバランスがとれた戦法として猛威をふるっていました。

A急戦の中では、鷺宮定跡が流行し始めていました。当時、棒銀や山田定跡等の旧来の急戦に対する四間飛車側の対策が進み、居飛車側の急戦に手詰まり感があった中で、研究家として知られ新手メーカーであった青野照市九段が創案して実戦で試し、その後、米長邦雄棋聖が森安秀光九段とのタイトル戦で連投して成功をおさめ、アマチュア間でも流行し始めていました。鷺宮定跡の名称は、青野九段と米長棋聖がともに東京都中野区鷺宮に住んでいたことに由来します。地名が戦法の名前になるなんで、珍しいですね。当時の印象が非常に強かったので、私の中では今でも「鷺宮定跡=最強の急戦策」というイメージがあります。


【第2図以下の指し手(1)】
▲3六歩 △7五歩 ▲同 歩 △6四銀 ▲7四歩 (途中図) △同 飛 ▲6五歩 △7七角成 ▲同 銀 △7五銀 (第3図)

  

まずは、△7二飛とした意味を理解していただくため、△7二飛に反応しないで▲3六歩と手待ちをした場合の変化手順を解説します。△7五歩、▲同歩、△6四銀は、山田定跡のときと同じ手順です。四間飛車側も山田定跡のときと同様に▲7四歩と突いてみますが(途中図)、すぐに△同飛と歩を取り返すことが出来るのが、△7二飛の効果です。先手は狙われている角をさばくために、常套手段の▲6五歩を実行しますが、第3図となってみると、後手の7筋の飛銀の圧力が絶大で、次に△7六歩と打たれてしまうと先手の飛車と銀が使いにくくなります。第3図は、7筋を制圧した後手が有利な形勢です。


【第2図以下の指し手(2)】
▲6五歩 △7七角成 ▲同 銀 △7九角 (第4図)



次は、第3図のように銀の進出を許す前に、▲6五歩で狙われている角をあらかじめ交換する指し方を紹介します。後手は交換した角をすぐに△7九角と打ち込んできます(第4図)。

第4図の△7九角が、鷺宮定跡の真骨頂とも言うべき厄介な一手なのです。飛車取りなので飛車を▲6九飛などと逃げたくなりますが、そうすると△4六角成と歩を取りながら馬を好所に作られてしまいます。

第4図のあと、すぐに△6八角成と飛車を取ってくれるのであれば、▲同金と角を取っておき、単なる飛車角交換で四間飛車側もそれほど困ることはありません。しかし、後手の真の狙いは、飛車を取るぞ取るぞと見せかけて、なかなか取らずに先手の動きを牽制し、後手にとって一番都合の良いタイミングで△6八角成と飛車を取ることなのです。


【第4図以下の指し手(1)】
▲5七角 △6八角成 ▲同 金 △7三桂 (第5図)



現在は居飛車党の筆者も、1983年当時は四間飛車を好んで指していました。通い始めた将棋道場で、鷺宮定跡と初めて対戦した筆者(当時、アマチュア初段くらいの棋力)は、第4図を前にしてホトホト困り果てました。

10分くらい長考に沈んだ末に▲5七角と自陣角を打って、早く飛車を取ってくれと催促したのですが、第5図となってみると、打った角の働きがいまひとつですし、何よりも後手の銀がまだ前線に出ていないために囲いが金銀4枚でコンパクトにまとまっており、後手が有利な形勢です。


【第4図以下の指し手(2)】
▲6六銀 △8二飛 ▲7七角 (途中図) △8六歩 ▲同 歩 △6八角成 ▲同 金 △8七飛 ▲7八角 △8六飛上 ▲同 角 △同飛成 (第6図)

 

第4図からの第2手段である▲6六銀は、筆者が通っていた前述の将棋道場で一番強くてアマチュア四段で県代表にもなったことがある方がよく指されていた一手です。

△8二飛で次に8六歩を狙った手に対して、▲7七角と打ち、途中図から次に▲5五歩を狙いとする積極的な指し方です。筆者の指した▲5七角よりも有力な手なのですが、本譜のように△6八角成と取った飛車をすぐに8七に打ち込んでくるのが、後手の好判断です。

第6図となってみると、後手が作った龍の威力が強いのに対して、先手の7八角の働きが悪く、後手陣に飛車を打ち込む隙もないため、後手が有利です。


【第4図以下の指し手(3)】
▲4五歩 △4二金上 ▲6六角 △3三桂 ▲3六歩 △7三桂 (第7図)



第4図からの第3手段である▲4五歩以下の手順は、定跡書によく書かれている指し方です。▲4五歩の意味としては、△4四歩と突いて陣形を整備する手を防ぎながら、次に▲6六角の自陣角を狙います。

第7図となってみると、後手の左右の桂馬が全軍躍動の形であり、次に△7一飛と引いて飛車の横利きを通す手が抜群に味が良く、また先手は飛車を逃げるとやはり後手に馬を作られてしまう形です。第7図も後手が有利です。


以上、今回、筆者の幼少期の経験を元にした指し方では、いずれも四間飛車側が不利になってしまいました。次回は鷺宮定跡に対する、四間飛車の別の対抗策を解説する予定です。

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