矢倉復活への道筋

Vol.2 矢倉の歴史を振り返る その2  2018.10.14

3 昭和30年代 (2) 大山流の腰掛銀 その1

 第1図は、昭和32年5月7、8日に行われた第16期名人戦第1局 大山康晴名人vs升田幸三二冠戦(肩書はいずれも当時)である。升田二冠は、前年度に大山名人から王将位を奪取したのに続き、塚田正夫九段から九段位も獲得して、絶好調の中で名人戦の挑戦者となった。当時はタイトルが3つだけだったので、この名人戦七番勝負に勝てば、三冠を独占することになる。

 

 昭和20年代から30年代にかけて、4筋(後手なら6筋)の歩を突いて腰掛銀(▲4七銀から▲5六銀)にする形が流行していた。終戦直後、相掛かりや角換わりの将棋で腰掛銀が大流行したので、その流れが矢倉戦法にも飛び火したものと考えられる。矢倉でお互いに5筋を突き合う形にした場合は、四手角+総矢倉の形になって当時は千日手になりやすかったので、先手か後手のどちらか、もしくは先手と後手の両方とも、4筋(6筋)の歩を突く形に組むことが多かった。特に大山名人においては、自身の受け将棋の棋風に腰掛銀が合致していたので、矢倉で腰掛銀にするのを得意形にしていたようだ。

 大山名人の▲4六歩型に対し、後手の升田二冠が△5四歩型から早めに7筋の歩を角で交換する趣向に出た(第1図)。それを見た大山名人は、角を5九から3七に転換して、後手の早い動きを牽制する指し方に出て、穏やかな展開になったのが第2図の局面である。


【第2図以下の指し手】
△5五歩 ▲2六角 △5四銀 ▲3七桂 △6四角 ▲2九飛 △7三桂 (途中図) ▲1六歩 △1四歩 ▲8六銀 △7四歩 (第3図)

  

 △5五歩と5筋の位を取ってから△5四銀と上がるのが急所で、後手陣は堂々とした好形になった。さらに角と桂馬を好所に配置した途中図の局面は、後手十分の形勢である。先手は4七の銀が使いにくい駒になってしまっている。

 第3図の△7四歩は、▲7五銀と出られる手を防いだ手である。ただし、一度交換した歩を打つ手であるため、もったいないところでもある。現代風に指すなら、△7四歩に代えて軽く△8五桂と跳ねておき、▲7五銀と出て来たら、△同角、▲同歩、△同飛と、堅陣を生かした強攻手段も考えられるところである。


【第3図以下の指し手】
▲3五歩 △同 歩 ▲同 角 △8五歩 ▲7七銀 (途中図) △9三香 ▲2六角 △9二飛 ▲3六銀 △9五歩 (第4図)

  

 先手は働きの弱い右辺の駒を捌くため、3筋の歩を交換した。それに対して後手は、△8五歩と突いて8六の銀を追い返した後、途中図から△9三香以下、「スズメ刺し」に出た。スズメ刺しは、昭和28年に升田八段が創案した戦法であり、矢倉囲いの端に「飛角桂香」を集中して端を破ろうとする指し方である。

 通常のスズメ刺しは、△8四歩の形で△8五桂と跳ねることで、桂馬も端攻めに参加出来るのであるが、本局の場合は△8五歩と突いてしまっている関係で、桂馬は使えていない。後手は、3筋のキズも抱えていることもあり、第4図は先手も十分指せる形勢である。

 本局は、先手の大山名人が中盤戦をリードしたが、終盤で逆転に成功した升田二冠が、幸先よく1勝を挙げた。


4 昭和30年代 (3) 大山流の腰掛銀 その2

 第5図は、昭和32年7月10、11日に行われた第16期名人戦第6局 升田幸三二冠vs大山康晴名人戦である(肩書はいずれも当時)。名人戦は、ここまで升田二冠が3勝2敗でリードしていた。大山名人は、名人戦開幕前まで不調と言われていて、一方の升田二冠は気力、体力とも充実しており、戦前の下馬評は升田やや有利であった。

 本局は、先手後手ともに4筋(6筋)の歩を突く形となった。受けの得意な大山名人は元より、升田二冠の方も好んでこの形を用いていたようだ。ただし第5図まで、後手の大山名人は6筋と5筋の両方の歩を突いており、金銀の立ち遅れが気になるところ。升田二冠は嗅覚鋭く、そこを衝いていった。



【第5図以下の指し手】
▲3七銀 △3一角 ▲2六銀 △6五歩 ▲3五歩 (途中図) △同 歩 ▲同 銀 △5三角 ▲3八飛 (第6図)

  

 第5図では、穏やかに指すなら▲4七銀の形にしてじっくりした駒組にするのが、当時の常識的な指し方であった。後手の大山名人も、そういう読み筋であったと思われる。

 しかし、流石は「新手一生」を掲げて様々な新戦法を編み出した升田二冠、本局も常識的な指し方に捕らわれることはなかった。▲3七銀から「棒銀」で早い動きを見せたのが、卓越した着想であった。6一の金が立ち遅れた後手は、上部をがっちりと受け止めることが出来ない。

 本譜は、△3一角と「引き角」にして棒銀を牽制する手段に出たが、△6四角の形にするためには、△6四歩と突いた歩をもう一度△6五歩と突かざるを得ない。

 途中図で△6四角と上がる予定だったと推察されるが、何か誤算があったのであろう。▲3八飛と回って3筋を制圧した第6図は、早くも先手が一本取った格好となった。


【第6図以下の指し手】
△4四銀 ▲6八銀 △3三歩 (途中図) ▲4四銀 △同 角 ▲同 角 △同 歩 ▲4八飛 (第7図)

  

 形勢が苦しくなった後手は、△4四銀とぶつけて局面をほぐしにかかったが、冷静に▲6八銀と角筋を通したのが絶好の一手となった。対して、△3五銀と銀を取るのは、▲1一角成で先手優勢である。

 途中図の△3三歩はやむを得ない受けであるが、4四の地点で角銀総交換をした後、▲4八飛と4筋に狙いを付けた第7図の局面は、駒の働きおよび先手のみ1歩を手にしていることを踏まえると、先手有利の形勢である。

 本局を快勝した升田二冠は、王将、九段と合わせて名人を獲得して、史上初の三冠王となった。一方の大山名人は5期保持した名人位を失い、無冠に転落することとなった。

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