矢倉復活への道筋

Vol.4 矢倉の歴史を振り返る その4  2018.12.5

7 昭和30年代 (6) 升田流の急戦矢倉 その1

 前回は、後手の△6四歩型からの腰掛銀に対する有力な対抗策として、先手▲3七銀からの急戦矢倉を見てきた。年代の関係は前後するが、今回は後手の△5四歩型に対する先手の急戦矢倉の将棋を紹介する。その中心となるのは、やはり、あの升田幸三九段である。



 第1図は、昭和26年9月29日に行われた王将戦升田幸三八段vs大山康晴九段戦である(段位はいずれも当時)。第1図は、お互いに5筋の歩を突き合った形で、現代的な矢倉と遜色がない局面である。ここから、先手の升田八段が独自の趣向を見せた。


【第1図以下の指し手】
▲6八玉 △3一角 ▲7八玉 △7四歩 ▲5七銀 △4四歩 (途中図) ▲5五歩 △6四歩 ▲5六銀 △6三銀 ▲3六歩 △5二金 (第2図)

  

 第1図から、先手は▲6八玉から早囲いと呼ばれる矢倉に囲った。現代でこそ市民権を得た囲いと言えるが、当時としては、珍しい囲い方である。早囲いは通常のカニ囲いと較べて、横からの攻めに強いため、大駒を切るような強い攻めに適した囲いである。その反面、棒銀などで玉頭から攻められる形になるとひどいことになるが、後手から攻められる前に先に急戦を仕掛けてしまえば十分というのが、先手の升田八段の考え方である。

 途中図の▲5七銀の形が、升田式の急戦矢倉である。急戦矢倉では通常、▲3六歩から▲3七銀の手順で銀を使うのが形である。▲5七銀は本譜に見られるような@▲5五歩からの歩交換と、A▲4六銀から▲3六歩の3筋攻めと、2つの狙いを持っている。

 途中図から、先手は▲5五歩と仕掛けた。対して平凡に△5五同歩と取るのは、▲6六銀右、△5三銀、▲5五銀、△5四歩、▲6六銀右となり、5筋の歩交換が出来て、先手十分である。それでは面白くないと見た後手は、△6四歩から△6三銀と頑張った(第2図)。途中図の後手の6一金がやや立ち遅れており、先手の利を生かして早めに5筋で戦いを起こせば、中央での勢力権を得て戦いを有利に運べるとの思惑での開戦である。


【第2図以下の指し手】
▲3五歩 △同 歩 ▲同 角 △4三金右 (途中図) ▲5四歩 △同 銀 ▲5五歩 △6五銀 ▲同 銀 △同 歩 (第3図)

 

 先手は5筋に続いて、3筋の歩を交換していく。急戦矢倉の将棋では、一度攻めだしたら、休まずに攻めて行くのが良い。

 途中図から、5筋を取り込んでから▲5五歩と押さえた手に対し、後手は△6五銀とぶつけてきた。代えて△6三銀と引いた場合は、以下、先手もそれ以上の攻めは難しいので、5八金右から6六歩、6七金とじっくりとした矢倉に組む展開になったであろう。現代的感覚からすれば、後手陣はまだ不安定なので、一旦辛抱してじっくりした将棋にする方が有力に思える。しかし当時は「5五の位は天王山」と言われていて、5五の位をじっくりと安定されてしまう展開を嫌って、勝負手気味に△6五銀とぶつけてきたと考えられる。

 銀交換した第3図の局面は、露骨に▲5四銀と打ち込む手や、▲4六角と引いて▲5四歩の突き出しを狙ったりと、先手に手段が多く、先手やや有利の形勢である。

8 昭和30年代 (7) 升田流の急戦矢倉 その2

 升田八段の急戦矢倉の将棋をもう一局紹介する。昭和26年12月11日に行われた第2期王将戦第1局 升田幸三八段vs木村義雄名人戦である(肩書はいずれも当時)。昭和20年代の将棋であるが、昭和30年代に流行した急戦矢倉に多大な影響を与えたのが、升田八段の急戦矢倉である。



 第4図は、前局同様に、先手番の升田八段が早囲いから▲5七銀型で急戦を志向した形である。後手の形が少し違っていて、△7四歩に代えて△5二金になっており、中央に厚く構えている。前局と同じ▲5五歩の仕掛けが成立するだろうか?


【第4図以下の指し手】
▲8八玉 △8五歩 ▲7八金 △7四歩 (途中図) ▲4六銀 △4三金右 ▲5七角 △7三銀 (第5図)

  

 第4図で、前局と同じく▲5五歩と仕掛けるのは、以下、△同歩、▲6六銀右、△5三銀、▲5五銀、△4三金右で、後手の受けが間に合い、△5四歩を打ってもらえず、うまくいかない。そこで先手は、▲8八玉から深く囲って、様子を見た。

 先手が▲3六歩をなかなか突かないのは、△6四角と飛車取りに出られる手を警戒したものである。▲4六銀から▲5七角は間合いを測った手で、後手陣の動きを見て方針を決めようとしている。一段金(▲4九金)のままでいるのは、将来飛車を渡したときの打ち込みに備えた意味があり、このあたりは升田八段独特の感性と言えるだろう。

 第5図の△7三銀は攻勢を取った手であるが、その反面、△6四角と出た後に△7三角と引いて受ける余地がなくなったので、先手はいよいよ3筋から動いていく。


【第5図以下の指し手】
▲3六歩 △6四銀 ▲3五歩 △同 歩 ▲同 銀 (途中図) △5五歩 ▲同 歩 △同 銀 ▲2四歩 (第6図)

  

 ▲3五同銀と捌いた途中図の局面で、級位者の方は反射的に△3四歩と打つのをよく見かけるが、それは良くない。△3四歩と打っても▲2四歩から銀交換されてしまい、3四に打った歩が無駄手になってしまう。歩を受けて良いのは、銀を退却させることが出来る場合のみ、と覚えておくとよい。3筋の歩は、あとで△3六歩と垂らしたり、別の使い方の含みを残すのが、上手い戦い方だ。

 本譜は、後手も5筋の歩を交換しながら、要所の5五に銀を捌いてきた。▲2四歩と突いて2筋の銀交換を目指した第6図は、ほぼ互角の形勢である。


 今回の2例で見た、先手の升田八段の早囲い+急戦の構えは、現代の目で見ても新鮮であり、洗練されたスマートな印象を受ける。升田幸三九段は後年、振り飛車党に転向されて、矢倉を指さなくなってしまったが、もし急戦矢倉を指し続けておられたら、現代矢倉の体系に対して、どのような影響を与えていたのか、興味深いところである。

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