【新連載】 矢倉復活への道筋

Vol.1 矢倉の歴史を振り返る その1  2018.10.6

1 まえがき

 矢倉戦法は昭和40年代以降、相居飛車の主流戦法の地位にあり、「矢倉は将棋の純文学」と言われてきた。先手と後手がお互いに矢倉囲いにがっちり囲って戦う「相矢倉」の戦いは、守りは金銀3枚で囲い、攻めは飛角銀桂(香)ということで、盤面全体を使った全面戦争になりやすく、ときには激しい攻め合いに、またときには攻め切るか受けきるかのギリギリの勝負を展開するということで、アマチュアにとっても矢倉戦法を覚えることは、将棋の基本をマスターする上で欠かせないものであった。
 ところが、ここ数年の間に、矢倉戦法の地位を脅かす事態がにわかに発生している。それは、後手番の新たな急戦策の台頭である。左美濃急戦をはじめとし、雁木、早繰り銀、6五桂早仕掛けなどの新しい急戦策が流行する一方で、米長矢倉や右四間飛車といった従来の急戦策も見直される傾向にある。
 そういった変化の背景としては、将棋の価値観の変化が考えられる。もともと、お互いにがっちりと玉を囲う「相矢倉」は、先手番が先攻する展開になりやすく、守勢になるのを嫌った後手番が様々な急戦策を編み出してくる傾向があった。従来は、そういった後手番の急戦に対しては、先手は中盤で一時的に守勢になったとしても、終盤には矢倉囲いの堅さ、厚みを生かして勝利することが多かった。
 ところが、近年のコンピュータ将棋の進化に影響されて、ソフトの考え方を取り入れる棋士が増えてきた。ソフトの考え方というのは、玉の堅さよりも駒組みのバランスを重視する考えである。玉が薄いということは、一手のミスが負けに直結することが多いわけであるが、ソフトは基本的にミスをしないため、玉の堅さによる安心感といったものは関係がない。そうした考え方に影響されて、玉を堅く囲って終盤の逆転を狙う発想よりも、先に攻めることでポイントを挙げて、僅かなリードを徐々に拡大して押し切ることを重視するようになった。
 それでは、矢倉戦法はこのまま衰退してしまうのだろうか? 増田康宏六段の「矢倉は終わった」という発言のインパクトの大きさもあり、近年プロアマ問わず、矢倉を敬遠する傾向が強くなってきたのが事実である。ここ数年は、相居飛車の戦いと言えば、角換わり腰掛銀が主流戦法になっている。先手矢倉にとって、後手番の急戦に対抗する有力な手段がないのかを検証していきたい。
 新たな変化に対応するためには、原点に立ち返り、歴史に学ぶことが重要である。そこで、後手急戦への対抗策を調べる前に、まずは矢倉の歴史を振り返ってみることにする。

2 昭和30年代 (1) 四手角の流行と衰退

 第1図は、昭和35年3月21日に行われたA級順位戦 丸田祐三八段vs加藤一二三八段戦である(段位はいずれも当時)。第1図では、先手の▲5七銀がやや違和感があり、現代感覚では▲3七銀と上がって攻勢を取るのが普通の考え方である。▲5七銀は次に▲4六銀と上がって攻めに使うのではなく、この後本譜に見られるように金銀4枚の「総矢倉」に囲う構想で、総矢倉+四手角の形が昭和30年代には流行していた。



【第1図以下の指し手】
△5一角 ▲5九角 △2二玉 ▲4六歩 △6四歩 ▲8八玉 (途中図) △9四歩 ▲1六歩 △1四歩 ▲2六角 △8四角 (第1図)

  

 「四手角」という名前は、先手番であれば、もといた8八の位置から@7九に引いて、A6八に上がり、B5九に引いて、C2六に上がる、という四手をかけて角を2六に持ってくる指し方を指す。2六への移動方法としては、7九→4六→3七→2六のルートも一般的であり、また後年になると7七→5九→2六と3手で移動する指し方も見られるようになった。

 手数をかけて▲2六(△8四)に角を移動する狙いは、第2図以下に見られるように4筋(6筋)を攻めることである。第2図まで、先後同型となった。


【第2図以下の指し手】
▲3七桂 △7三桂 ▲4五歩 △4三金右 (途中図) ▲4八飛 △6五歩 ▲6七金右 △6二飛 (第3図)

  

 途中図の△4三金右で一旦同型から外れるも、第3図で再び先後同型となった。後手が、先手と同じ形に追従する意図は、後手も6筋からの攻めを狙うことにより、先手の▲5七銀を守りに釘付けにすることである。▲5七銀を4六に上がりにくくすることにより、先手の攻め駒を飛角桂の3枚に限定させて、「先手からの仕掛けは無理筋でしょう」というのが、後手の主張である。


【第3図以下の指し手】
▲4四歩 △同銀左 ▲4五桂 △4二銀 (途中図) ▲4四角 △同 金 ▲5三銀 (第4図)

  

 先手は、後手の6二の飛車が▲2六角の角筋に入ったのをチャンスと見て、▲4四歩と取り込んで総攻撃を開始する。第3図の△6二飛のところでは、用心深く△8一飛から△6一飛とする順もあったようだ。

 ▲4四歩の取り込みに対しては、△同銀左と取るのが、この場合の形である。△同銀右と取るのが普通のようだが、それに対しては、▲2四歩、△同歩、▲2五歩の継ぎ歩攻めがあって、先手良し。

 途中図から、▲4四角と切り捨てて、▲5三銀の飛車金両取りで第4図。一見すると、これで先手の攻めが決まったようだが。


【第4図以下の指し手】
△6六歩 ▲同銀左 △4七歩 ▲4九飛 △5八角 (途中図) ▲2九飛 △5三銀 ▲同桂成 △8二飛 ▲2四歩 (第5図)

   

 △6七歩と取り込んで歩を補充した後の△4七歩が手筋の叩きである。もし▲4七同飛と取れば、以下、△4六歩、▲同飛、△4五金、▲同飛、△5三銀、となり、5三に打ち込んだ銀を取られてしまう。

 本譜は▲4九飛と逃げたが、△5八角と打ち込んで先手の飛車を2筋に追った後、△5三銀と手を戻して、4筋の脅威を緩和した。先手も2筋に手を付けて、第5図はまだ難しく、ほぼ互角の形勢である。終盤は、攻め合いを制して、素早い寄せを決めた、後手の加藤八段の快勝となった。

 先手後手ともに総矢倉+四手角に組む形は、後手に用心されると仕掛けが難しく、千日手になることが多かった。先手番で千日手では当然不満なので、指されることが次第に少なくなっていった。

 また、現代的感覚で言うと、先手が四手角に組み上げるまで手数がかかってしまうため、後手は先後同型に組まなくても、△6四銀、7三桂、7二飛の形から先攻されると、先手としては守勢になって勝ちにくいと考えられる。

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